文化財(ぶんかざい)
(1)元箱根石仏群(もとはこねせきぶつぐん)
鎌倉時代(かまくらじだい)には、この付近(ふきん)は京(きょう)と鎌倉(かまくら)を結(むす)ぶ重要(じゅうよう)な交通路(こうつうろ)(鎌倉古道(かまくらこどう)・現在(げんざい)の国道(こくどう)1号線(ごうせん))でした。その当時(とうじ)、ここは火山活動(かざんかつどう)の残(のこ)る荒(あ)れた地形(ちけい)で「地獄道(じごくどう)」とよばれ、旅人(たびびと)に恐(おそ)れられていたため、石仏(せきぶつ)・石塔群(せきとうぐん)をつくって旅人(たびびと)の安全(あんぜん)を祈(いの)ったとのことです。
(2)箱根の湯立獅子舞(はこねのゆだてししまい)
江戸時代(えどじだい)から伝(つた)わる、国選無形文化財(こくせんむけいぶんかざい)の獅子舞(ししまい)です。神事(しんじ:注 1)のあと、神社(じんじゃ)の境内(けいだい)で獅子(しし)が舞(ま)い、熱(あつ)い釜(かま)の湯(ゆ)を笹(ささ)の葉(は)でかき回(まわ)してその湯(ゆ)を参拝客(さんぱいきゃく)に振(ふ)りかける「釜巡(かまめぐ)りの舞(まい)」では、湯花(ゆばな:注2)をかけてもらうと一年(いちねん)病気(びょうき)をしないでいられるといわれています。
3月(がつ)27日(にち)には仙石原(せんごくはら)で、7月(がつ)15日(にち)には宮城野(みやぎの)でそれぞれ湯立獅子舞(ゆだてししまい)が行(おこな)われ、人々(ひとびと)の健康(けんこう)が祈願(きがん)されています。
(注1)神事(しんじ)
神(かみ)さまを祀(まつ)る儀式(ぎしき)。
(注2)湯花(ゆばな)
温泉(おんせん)の成分(せいぶん)が結晶(けっしょう)したもの。
(3)箱根関跡(はこねのせきあと)

(4)箱根仙石原湿原植物群落(はこねせんごくはらしつげんしょくぶつぐんらく)
3千年(ぜんねん)前(まえ)、中央火口(ちゅうおうかこう)付近(ふきん)の神山(かみやま)が大(おお)きな爆発(ばくはつ)を起(お)こし、たくさんの岩(いわ)が仙石原(せんごくはら)に流(なが)れこみ、川(かわ)がせき止(と)められて誕生(たんじょう)したのが、湿原化(しつげんか:注3)した仙石原高原(せんごくはらこうげん)です。
この地(ち)がかつて湿原(しつげん)だったという名残(なごり)は「仙石原湿原(せんごくはらしつげん)」で見(み)ることができます。面積(めんせき)17ヘクタールのこの湿原(しつげん)は、昭和(しょうわ)9年(ねん)(1934年(ねん))には国(くに)の天然記念物(てんねんきねんぶつ)の指定(してい)を受(う)けました。
仙石原湿原(せんごくはらしつげん)には、かつては紫色(むらさきいろ)のノハナショウブが一面(いちめん)に咲(さ)いていました。現在(げんざい)では、その姿(すがた)も少(すく)なくなっていますが、ノハナショウブをはじめ、この湿原(しつげん)に生息(せいそく)する植物(しょくぶつ)の多(おお)くは、すぐ近(ちか)くにある「箱根湿生花園(はこねしっせいかえん)」で見(み)ることができます。
洪水(こうずい)や川(かわ)の氾(はん)らんなどにより、定期的(ていきてき)に水(みず)におおわれる低地(ていち)で、つねに非常(ひじょう)に水分(すいぶん)の多(おお)い状態(じょうたい)にあり、ある程度(ていど)の広(ひろ)がりを持(も)っている土地(とち)。
(5)箱根旧街道(はこねきゅうかいどう)
小田原(おだわら)箱根口(はこねぐち)から芦ノ湖畔(あしのこはん)までの上(のぼ)り四里(よんり: 注 4)、三島(みしま)までの下(くだ)り四里(よんり)をあわせ「箱根八里(はこねはちり)」といい、東海道の中(なか)でも箱根越(はこねご)えは苦(くる)しい道(みち)のりでした。現在(げんざい)畑宿(はたじゅく)から湖畔(こはん)までは、旧東海道(きゅうとうかいどう)に残(のこ)る石畳(いしだたみ)が整備保存(せいびほぞん)され、たくさんの人々(ひとびと)が当時(とうじ)の面影(おもかげ)をしのびながら歩(ある)いています。
(注4)里(り)
中国(ちゅうごく)から伝(つた)わった長(なが)さの単位(たんい)。現在(げんざい)の単位(たんい)に直(なお)すと、1里(り)は約(やく)4km。


