広報でめぐる箱根トキメキ時間旅行

「広報はこね」は、箱根町が誕生した翌年の昭和32年5月に「箱根町報」の名で創刊して以来、町の話題を皆さんにお届けしてきました。
過去の広報とともに箱根町の歴史をふりかえります。

※記事に関しては当時の広報紙から抜粋しています。
 

昭和39年12月 第78号(13年ぶりに箱根チーム優勝)

13年ぶりに箱根チーム優勝

(記事から抜粋)
13年ぶりに箱根チーム優勝
第17回箱根町地区対抗駅伝競走は、11月23日午前9時宮ノ下の渓雲荘前を出発、湖尻より県道の元箱根を折り返す7区間40.8キロのコースで行われた。
快晴に恵まれたこの日、連休最終日を楽しむ行楽客の間を縫って、小涌園チームを含めた6チームによって争われた結果、2時間22分53 秒の好タイムで箱根チームが
13年ぶりに優勝した。
成績は次のとおりである。
(1)箱根、(2)湯本、(3)仙石原、(4)宮城野、(5)温泉、(6)小涌園
第61回町駅伝大会は、12月13日仙石原を舞台に18.8キロ、5区間のコースで行われます。
今年の優勝チームはどこになるのでしょうか。皆さんも力走する選手に、ぜひ、声援をお願いします!
 

昭和56年12月 282号(箱根関所 入場者が一千万人に)

箱根関所 入場者が一千万人に

(記事から抜粋)
箱根関所、資料館の入場者が11月16日に1千万人となりました。
この日は、早朝から職員が待ち受ける中、定期観光バスで箱根遊覧にこられた新潟県の山田喜代治さんが幸運な1千万人めの観覧者となったものです。
山田さんは町長から1千万人めを記念し、墨書きの手形、文庫などの記念品が贈られ、「突然のことでびっくりしたが、箱根に来て良い思い出ができました」と大喜びで、記念撮影に応じていました。
1千万人は、関所開設以来16年6か月で達成されたもので、1年間に約60万人が観覧したことになります。

箱根関所は、昨年10月2日に開設から41年で、観覧者3千万人を達成しました。
今年4月には、江戸口・京口両千人溜などが完成したことにより全面公開されました。また、6月には、この復元を祝って、「関所まつり」が開催され、関所を舞台に大名行列の演技も披露されました。
この完全復元以降、33万人もの方が観覧されています。(10月末現在)町民の方は無料ですので、まだご覧になっていない方は、関所復元のこの記念すべき年に、ぜひ、関所を訪れてみてはいかがでしょうか。
 

昭和55年8月 266号(省エネと地球温暖化)

省エネと地球温暖化

(記事から抜粋) 皆さんは、「省エネ」と聞くとすぐ思い浮かぶのは、灯油、ガソリン、電気、ガスなどではないでしょうか。ところが、テレビ、洗濯機、冷蔵庫などの電気器具類、食料品、衣類、自動車など、私たちの暮らしにかかわりのあるものは、ほとんど何らかのかたちでエネルギーを消費しています。 現在、私たちが消費しているエネルギー源の70%以上は石油です。そして、日本は石油のほとんどを、外国からの輸入に頼っていますので、石油の輸入がストップすると、日本の経済も私たちの暮らしも成り立ちません。豊かな明日を築くためにも、この限りある資源を大切に使う心がけがぜひとも必要です。
そこで、日常生活の中で実践できる、10の省エネ対策を提案します。

  • 冷房温度は、28度に調整を
  • 日よけ、カーテンの上手な利用を
  • 冷蔵庫の上手な利用を
  • お風呂は、沸かし方に工夫を
  • テレビはつけっぱなしにしない
  • 洗たくは、上手に
  • 電灯はつけっぱなしにしない
  • クーラーや照明器具のお手入れを
  • レジャーは、鉄道、バスのご利用を
  • 住宅には断熱材の使用を

最近では「省エネ」よりも「地球温暖化」という言葉を聞く機会が増えているように感じます。
地球温暖化とは、人間の活動が活発になるにつれて、主に二酸化炭素(CO2)などの「温室効果ガス」が大気中に大量に放出され、地球全体の平均気温が上昇する現象のことです。ですから、まず家庭でのCO2の削減に取り組むことがとても重要なのです。
先ほどの省エネ対策こそ、CO2の削減につながりますので、ぜひ、この夏から地球にやさしい生活を送ってください。きっと家計にもやさしさが返ってきますよ。

 

昭和41年11月 第101号(町制10周年記念式典)

町制10周年記念式典

箱根町が合併して本年で十周年を迎えました。昭和三十一年九月三十日旧五ケ町村が合併して、そして十年、幾多の難問題を解決しつつ、国際観光地として躍進をつづけ、名実ともに観光箱根の建設のために、大きく前進したわけであります。
町では、この合併十周年を記念して、さる十月一日午前十時から県立箱根観光会館において町関係者及び来賓あわせて三百余名の参集のもと、記念式典を行いました。
当日は、好天気に恵まれ合併十周年を祝うかのように朝から雲一つない日本晴れで、出席された方々の顔は、合併十周年を迎えて感慨ひとしお、という表情でした。
午前十時開会、まず亀井町長が式辞を述べ「箱根全町民が大同団結して今日の箱根町を築きあげることができましたことは感謝にたえない。箱根は観光を主体とした町である。明るく美しい、豊かな町づくりに全町民が努力し、手をとりあって、これからも大箱根町の建設につとめて行きたい。」とお礼と抱負をのべました。続いて勝俣議会議長のあいさつがあり、そのあと、町の合併に功労のありました十二氏に亀井町長から感謝状を贈り、石村喜作名誉町民など各氏の祝辞があって式典を終了しました。

平成18年9月30日、文化センターで町制50周年記念式典が開催されました。今月は、昭和41年10月1日に開催された町制10周年記念式典の様子をお伝えします。

昭和49年4月 第190号(老人友愛チーム発足)

老人友愛チーム発足

会福祉の向上をはかっていくうえで、今や欠くことのできない問題として「老人福祉」が取り上げられています。町では従来この問題に対しては、常に先進的にいろいろな対策を講じています。
町内には、身寄りのない人などで一人不自由な生活をしておられる老人が何人かいます。町ではこのような人々の生活を少しでも改善するため現在一人の老人家庭奉仕員が三人の身の回りの世話をし、また保健婦がねたきりの老人を持つ家庭を訪問して、いろいろな指導や相談に応じています。
訪問先のどの家庭も心よく迎えていただき、老人から「保健婦が訪問することを楽しみに待っています。」という礼状までいただきました。
しかし、このほかにも身の回りのお世話を必要とするおとしよりや、指導、相談を必要とする人々がまだまだあることが考えられ、一人だけではきめ細かなこともできませんので、四十九年度はさらに保健婦と老人家庭奉仕員をもう一人づつ増員するほか老人友愛チームをつくりこの面の充実をはかってまいります。

町では昔から高齢者対策に力を入れてきており、昭和49年には一人暮らしのお年よりの方のためなどのために、「老人友愛チーム」を発足させました。時代は移りましたが、現在でも皆さんの福祉向上のため、さまざまなサービスを展開しています。
 

昭和45年4月 第142号(観光美化推進都市宣言)

観光美化推進都市宣言

3月18日の町議会定例会で、「すぐれた景観と資源をもつ国際観光都市箱根町の自然を保護し、大切に美しくするための観光美化推進都市に関する決議」を行いこれを受けて町は、箱根を「観光美化推進都市」とすることを宣言しました。

観光美化推進推進都市宣言
私たちの町は国立公園であり、それはいうまでもなく、国民全体のためのもので、かつその資源は、すべての住民が幸福に生きるために大切な資産であります。私たちはこの明るく、美しい自然と、豊かな人文資源とによってはぐくまれた、私たちの町を愛します。そして、ますます公徳心を養い箱根を訪れる人々は、それぞれの楽しさを忘れず、次に訪れる人々のために快適な環境を保つ心が必要であります。ここに箱根町は、広く国民のあこがれの地となり、更に国際的役割を果たし、あわせて住民の恒久的繁栄を願い、箱根を大切に美しくするために、自然に調和する観光美化推進都市とすることを宣言します。

町は、昭和45年3月18日に「観光美化推進都市」を宣言しました。世界に誇れる美しい箱根町。この美しい自然を今後も守り育てていきましょう。また、今月号に「ごみと資源の分け方ガイド」を掲載しました。自然と資源を大切にするために、皆さんのご協力をお願いします。

昭和36年1月 第31号(悪質なしし舞の撃退方)

悪質なしし舞の撃退方

しし舞いや万才は、昔からお正月にはつきもので、このごろでは、正月だけでなく、一年中町や村を流して歩くようになって、全く職業化してきました。特にしし舞いは、悪質化してきたことは見逃せません。そのために包み金が少ないといいがかりをつけて、楽しいはずの正月の気分をすっかりぶちこわされることも起こりがちです。

◎ 悪質なしし舞いは押し売りと同じ

悪質なしし舞いは、そのやり方によっては刑法、軽犯罪法にふれるほか、押売等防止条例で、押売りと同じに取締ることになっています。
そこで、断った場合、悪口暴言をはいたり、家畜や家屋、物などに悪さをしたり、座り込んだり、おどしたりした場合には、法律や条例で捕まえることができます。

◎ 悪質なしし舞いはこうして撃退

○ 門、玄関、勝手口、えん側などはしし舞いだけでなく、どろぼうの用心からいっても、なるべくカギをかけておく。

○ しし舞いは、まず太鼓の音が遠くから聞こえてくるので、音がしたらまず戸締りをして、内に入れないようする。

今月は「悪質なしし舞の撃退法」を紹介します。「えっ!?」と驚かれる方も多いと思います。昔はこのような犯罪もあったんですね。
時代は移り、犯罪の形態も大きく変わっていますが、年の瀬は特に物騒ですから、皆さん、さらにご注意ください。

昭和50年10月 第208号(秋 箱根路への誘い)

秋 箱根路への誘い

「箱根路の山路はすべて古道である。」

四季折り折りの季節の変化に富んだ箱根は、どの季節も美しく素晴らしいが、特に秋の季節は格別である。夏の陽の烈しい光に耐えた木々の緑も、野辺路の露草にも、力いっぱい育びきった跡をしのばせ、つとめ終えた崩れ去るものの哀れさを止め秋の陽を待つわくら葉の様も、やがて絢爛たる錦旗の秋にふさわしく、朱も緑も、盛も哀もひとまとめにしながら箱根は今、静かに秋へ移ろうとしている。

箱根の秋は、箱根路を訪づれる人それぞれに語らいの端をあたえ、そのまま郷想の源になってしまう。歴史をふまえた古道は渓谷を走り、快適なドライブウェイを渡って、いくつかのヘアピンカーブを登りつめると、いづれもコバルト色の鮮やかな色彩に広がる名鏡芦ノ湖にたどりつく。こみいった紅葉の林を過ぎ、老杉の木の間が割れて忽然と開ける山頂の湖の景色は、眺望する秀麗富士の姿と合わせ実に雄大である。

ことしも又箱根の秋は美しくそこにある。大自然の中にいつまでも生きる箱根は、皆んなのものであって、世代・世相の移り変わりに関係なく永遠の自然を保たねばなりません。
秋の旅情を是非とも箱根路へ誘ないたい。

厳しかった残暑もようやく和らぎ、箱根がもっとも箱根らしい秋がやってきました。皆さんもハイキングなどで身近な秋を、自然を、そしてすばらしい箱根を感じてみませんか。

昭和48年8月2日 第98号(箱根をきれいにする運動)

箱根をきれいにする運動

最近の統計資料によりますと、箱根を訪れる観光客は、春、秋の行楽シーズンよりも夏の七月、八月に訪れる観光客の方が、はるかに多くなっています。町が、美化運動を提唱して五年目を迎えましたが、最近では「箱根をきれいに美しく」は、町民の合ことばになってきました。これもひとえに町民皆さま方の理解と協力の賜ものと感謝します。

この成果をこのまま今後もたずなをゆるめることなく、美化思想が公徳心として身につくまで運動を続けることが、目的達成の一番近道であると考えます。

本年も「箱根をきれいに美しく」のスローガンをかかげて、観光客が多く訪れるこの夏(八月中)に、美化運動を県と町が共催で実施することになりました。皆さま方の御支援、御協力をお願いします。

当時は「箱根をきれいに美しく」が、町民皆さんの合い言葉となるほど定着していたようですね。現在はどうでしょうか?
今年の全町一斉美化清掃は8月8日に実施します。皆さんもこの機会に、地域の清掃に汗を流していただき、清潔で美しい郷土、すがすがしい箱根を守り、そしてもう一度、「箱根をきれいに美しく」を皆さんの合い言葉としませんか。

昭和43年11月1日 第125号(町の木に「ヤマザクラ」)

町の木に「ヤマザクラ」

町が、明治百年記念事業の一つとして、広く町民の皆さまがたから募集してきました町の木に「ヤマザクラ」がきまりました。

町の木の制定は、町民の総意できめようと、二ヶ月半にわたって募集しました。この間に応募された投票総数は二千三百七十通となっています。審査は、得票数の多かった上位三種類のヤマザクラ、ヒメシャラ、モミジの中から選ぶこととして、箱根の気候風土に適し、広く普及性を持ち、そして町民に親しまれ、郷土の誇りとなり町のシンボルとなるいろいろの要件をもっとも備えている「ヤマザクラ」が決定したものです。

亀井町長は町の木が決定して次のようにのべています。「ヤマザクラが町の木に決まったことは結構なことである。これからは観賞樹の植栽をはじめ、いろいろな機会をとらえて箱根全山いたるところに植えるなど普及して観光客にも喜んでいただくようにしていきたい。さらに緑の箱根、誰からも愛される箱根にしていきたい」

このように町の木は町民皆さんの総意で決まりました。
平成17年3月下旬には、仙石原でヤマザクラなどの広葉樹の植栽を行うなど、決定当時の願いが脈脈と受け継がれています。
皆さんも町の木、町の緑を大切にしてください。

昭和32年5月10日 第1号(町報創刊に寄せて)

町報創刊に寄せて

箱根は確かに観光にはよいと、全国的に観光地を旅行される人が殆ど同じように「矢張り箱根だ」、と最後には賞賛される。しかし、そんなことに自惚れてはいけない。それは自然の観光美のためであるかもわからない。更にその上に人工美を加えて調和をはからなければならない。

われわれは、絶えずこれがために努力と、創意を加え名実共によい町をつくり上げたい。それは町民一人残らず職場の如何に拘らず、老若男女の別なく皆んなよい町をつくることに協力して戴きたい。そうして箱根の恩恵を全町民一人残らずが受けられ、より高い福祉の増進がはかられるならそれが直ちに国立公園としての使命も達せられたことになると思う。


合併から半年後、町報創刊にあたって、当時の石村喜作町長のあいさつ文から抜粋しました。
「よい町をつくる」、昔と変わらぬこの願いを、これからも町民の皆さんと一緒にかなえていきたいと思います。

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