(1)箱根細工(はこねざいく)

箱根細工(はこねざいく)は、箱根(はこね)や小田原地方(おだわらちほう)で作られる木工製品(もっこうせいひん)のことですが、大きく分けると、ろくろを使ってお椀(わん)や丸盆(まるぼん)などを作る「挽物細工(ひきものざいく)」(ろくろ細工(ざいく)ともいいます)と、板(いた)と板を組み合わせて箱(はこ)や引き出しを作る「指物細工(さしものざいく)」に分けられます。
箱根地方(はこねちほう)では古くからこうした木工細工(もっこうざいく)が盛(さか)んでしたが、中でも挽物細工(ひきものざいく)が中心だったようです。戦国時代(せんごくじだい)の記録(きろく)を見ると、当時(とうじ)畑宿(はたじゅく)では挽物細工(ひきものざいく)が盛(さか)んに作られていたことがわかります。江戸時代(えどじだい)になり東海道(とうかいどう)が整備(せいび)されて旅人(たびびと)が行き交うようになると、箱根細工(はこねざいく)は旅人(たびびと)たちのお土産物(みやげもの)として人気が高まっていきました。また江戸時代後期(えどじだいこうき)には箱根七湯(はこねしちとう)に湯治(とうじ)に来るお客(きゃく)さんも多くなり、湯治土産(とうじみやげ)としても知られるようになりました。
これらの土産物(みやげもの)はほとんどが挽物細工(ひきものざいく)でしたが、江戸時代後半(えどじだいこうはん)からは指物細工(さしものざいく)もみられるようになりました。 明治時代(めいじじだい)になると、これら木製品(もくせいひん)はほとんど湯本(ゆもと)で売られていたことから、「湯本細工(ゆもとざいく)」とも呼(よ)ばれました。

(2)寄木細工(よせぎざいく)

寄木細工江戸時代(えどじだい)の後半(こうはん)から指物細工(さしものざいく)が盛(さか)んになってくると、その技術(ぎじゅつ)を応用(おうよう)した「寄木細工(よせぎざいく)」が行(おこな)われるようになりました。今「箱根細工(はこねざいく)」といえば「寄木細工(よせぎざいく)」を指(さ)すようになるほど知られるようになりましたが、箱根細工全体(はこねざいくぜんたい)の歴史(れきし)の中では、比較的(ひかくてき)新しい技法(ぎほう)なのです。これは、色の違(ちが)う木を組み合わせてさまざまな模様(もよう)を作り、それらを箱(はこ)などの表面(ひょうめん)に張(は)って装飾(そうしょく)する、いわば装飾技術(そうしょくぎじゅつ)のひとつなのですが、これは江戸時代後期(えどじだいこうき)に畑宿(はたじゅく)の石川仁兵衛(いしかわにへえ)という人が、静岡(しずおか)からこの技術(ぎじゅつ)を学び、苦労(くろう)の末(すえ)これを持(も)ち帰って考案(こうあん)したと伝(つた)えられています。
また、同じ装飾技術(そうしょくぎじゅつ)の一つである木象嵌細工(もくぞうがんざいく)も、明治時代中頃(めいじじだいなかごろ)から盛(さか)んになりました。これもまた色の違(ちが)う木をはめ込みながら組み合わせて絵画模様(かいがもよう)を表現(ひょうげん)するもので、湯本茶屋(ゆもとちゃや)の職人(しょくにん)白川洗石(しらかわせんせき)が糸鋸機械(いとのこきかい)を応用(おうよう)した技法(ぎほう)を考案(こうあん)し、盛(さか)んとなりました。
これらの技術(ぎじゅつ)は、その後多くの職人(しょくにん)さんに引(ひ)き継(つ)がれ、技術(ぎじゅつ)が磨(みが)かれて、今日のようなすばらしい細工物(さいくもの)へと発展(はってん)したのです。

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