能登半島地震では全国から支援がある中で、当町でも物的支援のほかに職員を被災地に派遣しました。

 その職員が現地で目にして感じたことなどを紹介します。

【総務防災課 佐藤主事】派遣期間:1月19日~26日

 私は石川県志賀町で、被災家屋の認定調査に従事しました。
 訪問した家屋は、昔ながらの立派な瓦屋根で太い柱の大きなお屋敷が大半でしたが、壁内に筋交いがないことも多く、深刻な被害が発生していました。停電で室内は暗く、段差や隙間が生じ、床も冷たかったので、ケガや寒さ対策に靴下を重ね履きして、その間にカイロを入れて対応しました。自治体派遣の目的は被災自治体の支援のほか、自らの自治体が被災した場合に備えるために、ノウハウを学ぶ意味があるので、この経験が生かされればよいと思いました。見知らぬ場所での不慣れな作業は戸惑うことも多かったので、被災自治体での支援自治体の受入体制をあらかじめ想定しておくことも大切だと感じました。

【企画課 樋口主事補】派遣期間:2月2日~9日

 自分自身被災地のボランティア活動は初めてであり、実際に被災現場へ行くとテレビで流れているような光景が広がっており、被災の壮絶さを目の当たりにしました。家屋は潰れ、道路は歪み、地面には亀裂が入っており、地震の恐ろしさを実感しました。私は給水と物資の受け渡しの業務を行ったのですが、住民の方に直接お礼を言われることもあり、やっていて良かったなと感じました。現状の生活や被災したお話を聞き、少しばかりですが志賀町の方々の力になれたと思います。今回の経験を通して、一人ひとりが常に防災の意識を持ち、反対に箱根町が被災地となった場合の体制を整えておく必要があると感じました。

【保険健康課 湯川係長】派遣期間:2月18日~25日

 私は石川県志賀町で、被災家屋の認定調査に従事しました。 訪問した家屋は、昔ながらの立派な瓦屋根で太い柱の大きなお屋敷が大半でしたが、壁内に筋交いがないことも多く、深刻な被害が発生していました。停電で室内は暗く、段差や隙間が生じ、床も冷たかったので、ケガや寒さ対策に靴下を重ね履きして、その間にカイロを入れて対応しました。自治体派遣の目的は被災自治体の支援のほか、自らの自治体が被災した場合に備えるために、ノウハウを学ぶ意味があるので、この経験が生かされればよいと思いました。見知らぬ場所での不慣れな作業は戸惑うことも多かったので、被災自治体での支援自治体の受入体制をあらかじめ想定しておくことも大切だと感じました。

【子育て支援課 鈴木主任保健師】派遣期間:2月19日~23日

 この度、石川県珠洲市に令和6年2月に神奈川県と市町村の合同チームとして災害派遣に行かせていただきました。看護師だった私が保健師に転職したきっかけは東日本大震災時の保健師活動に興味をもったことで、保健師になる原点でした。今回の派遣は、本部支援ということで、直接支援を行う立場ではありませんでしたが、直接災害現場で活動したことは貴重な体験となりました。全国から様々な団体の支援が入っており、その取りまとめや運営方法について、1日に何度も行われるミーティングにも参加しました。支援の方法は様々ですが、組織力の凄さや統括する困難さを実感しました。 防災は日頃から常に考える必要はありませんが、いざという時のための備えをしっかりしておくことが大切だと思いました。

【上下水道温泉課 加藤主事】派遣期間:2月23日~3月1日

 災害派遣チームの一員として石川県志賀町富来支所へ派遣され、とても貴重な体験をさせていただきました。今回物資の仕分けチームとして役割を賜り、各避難所の収容人数に伴い仕分けを行い、被災された人々へ物資を提供する手伝いをしました。派遣チーム一丸となりお互い協力しあいながら異常な寒さの中、課せられた使命に邁進したのはとても良い経験だったと思います。他にも富来支所周辺の甚大な被害状況を直接目視したことで被災のイメージが具体的に持てたことはとても貴重でした。 まだ能登半島周辺の災害復興支援は続くかと思われますが、その一端を担えたことをとても誇りに思います。今回の経験を生かし今後の業務にも取り組みたいと思います。

【学校教育課 小野主事】派遣期間:3月1日~8日

 私は石川県羽咋郡志賀町に派遣され、り災証明書の発行業務を行いました。 り災証明書は、自然災害による被害の程度を証明するものであり、各種支援制度の利用をはじめとした、被災者の生活再建の手続きに必要な書面であるため、非常に重要な業務のひとつです。 具体的な業務内容は、被害認定調査支援チームが実地調査により作成した書類をチェックしながらパソコンに入力するものであり、正確さとかなりのスピーディーさが求められました。 被災地支援はもちろん、わが町が被災した場合に必要な業務を学ぶ大変重要な経験をさせていただきました。また、志賀町職員のほか、支援に来ている県内市町村の職員や他県の職員と交流する機会があり、とても刺激を受けました。これらの貴重な経験を少しでも今後の業務に活かしていきたいと思います。

【総務防災課 下川主査】派遣期間:3月8日~15日

 私は、震度7を記録した志賀町で救援物資の仕分け等の活動に従事しました。派遣時期は、発災から2カ月が経過していたので、被災地の今を知り、教訓にしなければと思いました。 避難所の数は、二次避難所への移動などで3分の1となっており支援業務で困るという事はありませんでした。インフラは幹線道路や生活必需品を扱う店は復旧しつつあるように見えましたが、停電・断水は解消したものの仮設トイレの使用や入浴支援等は続いていました。倒壊家屋のほとんどは発災直後のままでした。避難者からは、避難直後からの話を伺うことができ、これらの派遣で得た事を箱根町の防災対策に活かさなければいけないと考えています。私にとって被災地支援は、とても意義のあるものになりました。

【福祉課 渥美主事】派遣期間:3月15日~22日

 私は、志賀町役場富来支所で物資の仕分け作業を主に行いました。午前に当日の昼食分、午後に当日の夕食分と翌日の朝食分が搬入され、1人当たりの食事は、昼食おにぎり2個、夕食お弁当2個、朝食パン2個となっており、毎日の食事で、昼食のおにぎり800個程度、夕食のお弁当400個程度、朝食のパン800個程度を避難所ごとにある程度種類が均等になるように仕分け、搬出をしました。また、支援として送られてくる生活消耗品等を避難所から必要とされる数量を配送するトラックに積み込みする作業も行いました。 今回の派遣を通して、いつ起きるか分からない災害時のために、災害時の受入体制を整えることや災害の知識を身につけることが大切だと感じました。

【総務防災課 常盤主査】派遣期間:3月22日~29日

 志賀町では、庁舎の周りや周辺の道路は陥没が多く、倒壊や損壊している建物が町のあちこちにあり、日常生活に多大な支障をきたしていました。また、私が担当した罹災証明書の膨大な発行件数に被害の甚大さを感じました。突如発生した被災関連の業務に、志賀町職員の方々も大変苦慮したことでしょう。また、職員の方々は自らも被災者であり、相当の心労を抱えていたかと思います。それでも私たちを笑顔で迎え入れてくれ、この多大な業務に前向きに取り組めました。今後、神奈川県西部地震や南海トラフ地震が発生すれば、箱根町も大きな被害を受ける可能性があります。もしも箱根町が被災側となったとき、志賀町の職員のように、辛くとも前を向いて業務に取り組んでいけたらと思います。

お問い合わせ先